漫画「この世界の片隅に」映画との違いは?リンさんをめぐってレビューしてみる!

リンドウの花 マンガ・イラスト
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今回は「この世界の片隅に」の原作漫画を取り上げてみましょう。

漫画は全3巻。柔らかいタッチの漫画で、地味に見えるけど、描線の柔らかさが印象的な絵です。今回は、「この世界の片隅に」の原作漫画と映画を比べつつ、レビューしてみます。

 

映画の「この世界の片隅に」のレビューは以下になります。こちらもどうぞ!

ネタバレ有りなので、まだ見ていない人はご注意ください。

漫画と原作の最大の違いはリンさんの存在

原作漫画と映画の大きな相違点は、リンさんという女性キャラの扱いですね。

映画では、リンさんの扱いがかなり小さくなっています。漫画のファンにとっては、映画を見ていてとても気になった点だろう、と思います。実際、不満を述べるブログも見かけました。

リンさんは、遊郭で働く女性で、道に迷ったすずさんに帰り道を教えてくれました。路上にスイカやキャラメルの絵を描いていることで、リンさんとは仲良くなれたのです。

実は子供時代に会っていたすずさんとリンさん

西瓜

リンさんにからんで不思議なのが、すずさんの子供時代に、ちらっとリンさんと思しき子供(っていうか座敷童扱い・・・)が出てきていましたよね。

おばあちゃんの家に行ったときに、こっそりスイカを食べようとしている貧しい身なりの女の子がいました。

映画のなかでは、大人になったリンさんが、「スイカの赤いとこ、食べたねぇ」と話していて、座敷童の女の子と妙につながるのです。

漫画では下巻の回想シーンのなかで、屋根裏から女の子が降りてきて、スイカをかじっている絵が描かれています。(「この世界の片隅に」下巻P108)

わざわざ座敷童なんていう不思議なお化けみたいな扱いにしているのは、子供時代の思い出としてぼかしているのか?

冒頭に出てきた人さらいの化け物のように、ちょっと不思議な幻想のキャラが入り込んでいるのが、「この世界の片隅に」の面白いところです。

ちょっと不可思議なつながり方です。なんにせよ、すずさんとリンさんは、大人になってから再会した関係です。

大人になってから再会したずすさんとリンさん

実はリンさんの店は、独身の時の周作がお客として行っていたお店です。

すずさんがそのことを知るのは、リンドウの柄の茶碗がきっかけです。納屋にしまい込まれていた茶碗には、きれいなリンドウの花の絵が描かれていました。

リンさんが着ているリンドウの柄の着物、周作が納屋に置いていたリンドウの柄の茶碗。この2つが接点となって、すずさんに周作の過去を教えてしまいます。

漫画では、農作業をしているすずさんを真ん中のコマに起きつつ、右側のコマに周作、左側のコマにリンさんを配置して、すずさんが真実に気づくまでを丹念に描いていました。(「この世界の片隅に」中巻P54)

2ページ見開きのなかで、現実と回想が混ざり合う見事なシーンです。漫画ならではの表現の工夫もあって、興味深いページになっています。

茶碗は、本当はリンさんにあげるはずのものだったのです。周作が結婚を考えるほど真剣だったことを知ってしまって、すずさんは動揺します。

もちろん独身時代のことだし、年上の男性だし、といろいろ理由はつけられます。自分の友人になってくれた女性が、実は夫である男性とかつて関係があった、となるとさすがに複雑な心境でしょう。

いつもはぼーっとしていて、のんびりしているすずさんですが、ちょっと屈折した心理をうかがわせます。

すずさんとリンさんとは、まったくタイプが違います。

すずさんは、おっとりのんびり、なんだかほっとするようなタイプです。リンさんは、大人びていて美人タイプ。ちょっと物憂げな表情をしていて、気の毒な生い立ちをうかがわせます。

貧しい身の上で、学校にも行けず、遊郭で働く身となったリンさん。リンさんは、すずさんとの会話と、「北條」という名前からして、周作の妻だと気づいたはず。

友達なんだけど、ちょっと切ない感じの女友達です。

周作とリンさんの再会シーンの美しさ

桜の木の下

周作は、リンさんとの関係はたぶん周囲の反対などもあって、あきらめざるを得なかったのでしょう。

すずさんと夫婦になって、周りからも「すずさんはいい嫁さんね」なんて言われるくらいになったころに知ってしまう周作の過去の恋愛。

すずさんがたまたま遊郭に迷い込んで、リンさんと友人になったことで、かつて関係を断ったはずの周作とリンさんは、またお互いを思い出すことになります。このあたり、じつに皮肉なのですが、原作のなかの大きな軸となって、読者の印象に残ります。

リンさんと周作の描写は、漫画の中巻の終わりにあたる「20年4月」という回でも印象的に描かれています。

家族でお花見に行ったときに、久しぶりに木の上で会話するリンさんとすずさん。先に木を降りたリンさんは、さくらの木の下を歩きながら、誰かと顔を合わせます。桜に隠れて顔は見えないけど、それは周作だったことが、後のコマで分かります。

決定的な情報をうまく隠しつつ、余韻を引き出すうまい描き方です。

リンドウの茶碗をめぐってのやり取り

リンドウ
リンドウの柄の茶碗は、たびたび漫画のなかで、重要なアイテムとして登場します。

周作とリンさんの関係をすずさんに気付かせる⇒すずさんが茶碗をリンさんに渡しに行く⇒空襲で崩れたリンさんの店に茶碗のかけらを見つけるすずさん

茶碗は、本来持ち主になるはずだったリンさんのもとにいって、そして(たぶん)リンさんとともに壊れてしまったのです。

原作では、知りたくはなかったけど、周作とリンさんの関係について知ってしまって苦しむすずさん。

お茶碗というアイテムを介して、驚愕⇒受容⇒関係の終焉というプロセスを描き出しています。

すずさんは自分がリンドウの茶碗を持つべきでないことがわかっているし、リンさんにふさわしいとも思っていたはず。

本来使うはずだった人のところに持っていくって、どういう心境だったんだろう・・・。

かつての周作が本気だったことを示す証として渡しておきたかったのか、記念の品として持っておいてもらおうと思ったのか・・・。

「自分ではリンさんにかなわない」(「この世界の片隅に」中巻 p114)というセリフもあったように、本当は周作が選ぶべきは自分ではなかったのかもしれない、といった気持ちがあるのか。

キャラの心情そのものは推し量るしかないのですが、夫と友達の間で苦しむすずさん、というのは原作の大きな魅力のひとつです。

原作ファンの間で、「リンさんのエピソードが削られていて不満」みたいな意見があったのもわからないわけではないです。

「この世界の片隅に」漫画と映画のどっちが好きか悩む

蓮華の花

リンさんの存在が漫画のように大きいと、いろんなシーンの意味が、漫画と映画とでは変わってきます。

例えば、自宅近くの空襲時に、周作がかばってくれて水路のなかで爆撃機が過ぎ去るのを待っているシーン。

映画では、周作の背中に手をそっと触れる、とてもじーんとくるシーンになっています。

でも原作の漫画を読んでいると、周作にかばわれながらも、内心ではリンさんのことで嫉妬しているすずさんになっています。このあたり、どちらがいいのか、悩ましいんですよね。

映画は映画でとても丁寧なつくりなので、そんなに大きな不満はないんです。私は最初は映画の演出が好きだったのですが、漫画の複雑な心理も捨てがたく、どちらも印象深い演出です。

おまけ:2019年公開の長尺版への期待

2019年の12月に公開予定の長尺版「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の情報をチェックしていると、どうもリンさんの情報を追加で加えたバージョンになるようですね。

 

原作のファンとしては、嬉しい内容になるはずです。できたら私も見に行きたいところ。

作品も楽しみだし、大勢の方のレビューを読むのも楽しみです。

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