「万引き家族」二人の子供の視点からレビューしてみる!

夏の空 ドラマ
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「万引き家族」は、是枝監督の代表作です。

2018年にパルム・ドールを受賞したことや、社会問題を扱っていたことでなにかと話題になっていました。久しぶりに鑑賞したので、改めてレビューをアップしてみます。

「万引き家族」を見るときに注意しておきたいポイント4つ

セミの抜け殻

 

かつて劇場で同作を見た時に鑑賞のポイントになるな、と思った点は、以下の4点でした。

  • 足の怪我
  • 腕に残る傷跡
  • 散髪
  • 外を見る視線

是枝監督の作品には、無駄な説明や過剰すぎる描写がなく、情報をできるだけ、そぎ落としていると思います。

初めて見た時にはややわかりにくい部分もあったのですが、改めてみると、必要な情報はそろっています。あとは、観客の側がしっかりと見ることが出来るかどうか。

上にあげた4点をはじめ、人物同士のつながりや家族関係の変化は、セリフなどの説明よりもシーンの対比で、鮮やかに浮かんできます。

細かいパーツがちゃんとパズルのピースみたいに組み合わさっているので、ひとつひとつのシーンや表情に持たせている意味が大きく、画面をよく見て、読み解く楽しみがあります。

足のケガ

作中でリリー・フランキー演じる父親役・治が工事現場で足をケガするシーンがあります。一応、家族のために働いている様子であり、その結果として足を怪我してしまう。

後半、祥太も足を骨折するケガを負います。それは疑似的な家族が崩壊していく始まりの怪我ともいえます。

話の中心である父と息子にあたる2人の登場人物が負う、足の怪我。怪我の原因は全く違うのですが、対称になっていて、疑似的な家族を維持してきたものと、壊すものを描いています。

腕に残る傷跡

*少女はいくつかの名前で呼ばれますが、ここでは「ゆり」に統一しておきたい、と思います。

柴田家で暮らす、ゆりの腕には、おそらく虐待の跡と思しき傷があります。

一方で、安藤サクラ演じる信代には腕にアイロンで負ったやけどがあります。その傷跡を、ゆりが触れてあげるシーンがあります。

他人が持っている傷に触れるって、すごくデリケートで気を使うことです。でも、相手を思いやっていることは伝わるしぐさです。このシーンによって、ゆりは信代と家族としてのつながりを確認するのです。

終盤でもう一度、ゆりが他者の傷に触れるシーンがあります。そのシーンも対になっていて、家族とはなんなのか、考えてしまいます。

髪を切ること

なりゆきで家族の一員になったゆりが、髪を切ってもらうシーンがあります。それは、家族として受け入れてもらうための儀式となっています。

一方で、祥太も髪の毛を切るシーンがあります。それは、疑似的な家族から離れていくシーンともいえます。

外を見る視線

ラストで祥太がバスの外を見るシーンがあります。最初はためらっていたけど、バスの外を見る視線。

そして、ゆりも最後に一人で遊びながら、ベランダ(だったはず)から外を見るシーンがあります。

「疑似的な家族」というシステムのなかに入って、そしてそこから出ることになった2人の視線は、ひどく印象的です。

自分がやってきたこと、自分がいる場所について納得がいかない感じの視線ではないかな、と思います。

子供の視点から見る「万引き家族」

ラムネの便

今回のレビューでは、柴田家に暮らす子供2人の視点から見てみます。

メインの登場人物である柴田家は、一見すると貧しいながらもなんとか暮らしている一家に見えます。

しかし、実は老女である初枝の年金をメインにしながら、足りない分は万引きで生計を立てるべく犯罪を繰り返している一家という設定。

柴田家には、二人の子供が登場します。祥太という少年はまだ幼いのに、ちゃっかりスーパーや駄菓子屋などで万引きする習慣が身についています。

祥太は実の子供ではなく、(だいぶ後で)よその車から連れ去った子供だったことが判明します。家族に見えて、実は疑似的な集合体だったのです。

さらにもう一人、ゆりという少女が冒頭で一家に加わります。寒い中、バルコニーにいた幼いゆりを柴田が自宅に連れ帰り、かくまうようにして過ごすようになります。

ゆりの家には家庭内暴力の傾向があるとはいえ、柴田家がやったことは、連れ去りと言っていい行為です。

傍目にはわからないけど、あちこちいびつな疑似的家族。

ひとつの家族の中に存在する闇や暗さ、その崩壊のプロセスを丹念に描いています。

祥太少年が壊す疑似的家族

駄菓子屋

久しぶりに視聴して印象的だった点は、疑似的な兄と妹の関係です。

兄と妹は疑似的なもので、最初は祥太はゆりを「邪魔扱い」していたほど。でも夏頃に一緒に公園で遊ぶときには「お兄ちゃん」と呼び、なついていたゆり。

家庭内暴力があるとおぼしきゆりの本当の家の状況を考えると、自宅に戻るのがいいとも思えず、かといって万引きを続ける家族になじんでしまうのもどうなんだろう、という気持ちになってしまいます。

駄菓子屋「やまとや」の主人は、祥太が万引きを繰り返していることを知っていました。今まで見逃してきたのですが、店先で呼び止めてお菓子を渡しながら「妹には万引きさせるな」と祥太に告げます。

万引きという行為を「お店にあるものはまだ誰のものでもないから」なんていうごまかしで正当化してきた父親への信頼や安心が揺らぎ、だんだんと万引き行為に嫌気がさしてくる祥太。

親であるがゆえに慕う子供の心と、「どうも変だな・・・」という疑いの間で祥太の気持ちは揺れる。

それは少年が成長しているということであり、ついに疑似的家族を壊す理由にもなっていきます。

再視聴して気づいたのは、妹的存在であるゆりに店の外で「待っていて」って言ったのに、ゆりもスーパーマーケットに入って万引きを行おうとしたから、祥太は派手に目立つように玉ねぎを掴んで走り去ったことです。

今までばれないように気を付けながら万引きをしていたのに、わざと店員に見つかるように窃盗を行っています。ゆりをかばう気持ちもあったのかな、と思ってしまいます。

駄菓子屋の主人に言われていたことが、最後の万引きのシーンでの行動に生きているのではないでしょうか。

もちろん、この家族はおかしい、もう嫌だ、という気持ちを行動で示した結果でもあります。

最終的には柴田家は犯罪がばれて解体し、祥太は施設に、ゆりは実家にといった場所に移動していきます。それでよかったと思いつつ、しかし祥太やゆりの人生は、これからのほうが長いのです。

子供の視線がとても気になるラスト

雨と葉

久しぶりに父役であった柴田と再会したときに「わざと捕まったんだ」と祥太はつぶやきます。

自分を閉じ込めていた疑似的な家族の仕組みを崩壊させることでしか、祥太少年は自由になれない人生にいました。

無理のある疑似的な家族なので、崩壊はやむを得ないなと思いつつ、奇妙な疑似的家族の体験は、少年の今後の人生にどんな影響を及ぼしてしまうのでしょう。

まだ幼いゆりにとっては、柴田家で過ごした時間の記憶はどのくらい残るのか、それとも大部分が消えていくのか。

ラストはバスの窓から外を見る祥太の視線や、ベランダの片隅から外を見るゆりの視線で静かに終わります。

是枝監督の作品に多く共通していますが、ラストはとても静かで、大きな結論やメッセージをあまりはっきりとは告げない傾向があります。

観る側にいろいろと想像させ、余韻を残すタイプの作品が多く、じっくり味わって観ることが必要なのだと思っています。

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