前回の記事では「ちはやふる -上の句-」を取り上げました。今回は続編である「ちはやふる -下の句-」です。
「ちはやふる -上の句-」のレビューへのリンクは以下になります。
「ちはやふる -下の句-」
監督:小泉徳宏
出演:広瀬すず/野村周平/真剣佑/上白石萌音/矢本悠馬/森永悠希/清水尋也/坂口涼太郎/松岡茉優/松田美由紀/國村隼
製作国:日本
公開年:2016年
千早たち3人の再会シーンが美しい冒頭
昔から変わらない強さを発揮していた幼馴染の新が「もう、かるたはやらん」と言い出したところで「ちはやふる -上の句-」は終わります。久しぶりに会って、真意を確かめたい千早。
冒頭において、主人公・千早の子供時代が少しだけ映るが、それは夢。ちょうど新幹線で、幼馴染の新に久しぶりに会いに行くところから話は始まります。
「ちはやふる -下の句-」での3人の再会のシーン、きれいなシーンです。
千早の手をつかもうとする太一、ちょうどその隣を自転車で走り抜ける新。3人の交錯する気持ちや、複雑な関係を感じさせるシーンです。
なぜ競技かるたをやっているのか?に悩む
「ちはやふる -下の句-」のテーマは、かるたをみんなでやる意味だと思います。もう一度幼馴染の3人で、かるたができるかどうか。
エネルギーの塊みたいな千早に対して、他の2人である太一と新は、それぞれにかるたへの向き合い方が違います。
太一は実は千早が好きなので、かるたをやっているのも千早のため。
新は祖父が名人なので、おじいさんの影響でかるたをやってきた。でも応援してくれていた祖父は病気でなくなってしまう。
祖父の死の事実そのものは「ちはやふる -上の句-」では描かれなかったけれど、新の家の中のぽっかりと空虚な空間を映す絶妙なカメラアングルで、なんとなく観客に気づかせてくれます。
そして、みんなでやっているかるたか、一人で挑むかるたか、という対立の軸を出すことで新が向き合う「かるたをやる意味」が、観客にもくっきりとした形で見えるようになります。
競技かるたに限った話でもないのですが、本当に何かに夢中になれる時間ってけっこう短いのでしょう。
「さて、なんで私は○○をやっているんだろう」という悩みは、成長のプロセスのどこかで通過するステップなのだと思います。
「ちはやふる -下の句-」に出てきた百人一首の和歌
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之/古今集
人(のほう)はさあどうだか、気持ちは分からない。(けれども)なじみのこの土地は(今でも、ウメの)花があのころの香りになって匂っていたことだ。
ベネッセ全訳古語辞典改訂版/2007年/ベネッセコーポレーション/1050頁
百人一首の和歌では35番の歌です。作者は『古今集』の撰者であった紀貫之。
かつて子供のころに新が「なんでそんなに強いんや?」と名人である祖父に聞いたときに教えてもらった歌。
この歌は、かつて訪れた土地・初瀬をふたたび訪ねて、年月が流れた今でも、梅の花が変わらず咲いていてくれる、と詠んでいます。
人の心の移ろいやすさと、花の変わらぬ美しさを対比させた歌です。
かつて通った場所を訪れたときに感じる、自然の美しさを愛でる気持ちを詠んでいる歌であることを考えると、少し飛躍してしまいますが、新にとっての「ふるさと=原点」は競技かるたをやっている場所だったのだと思います。
心の中に頼れるイメージを持っている人は、苦境になっても強い。和歌に託して孫に伝えていた名人。長い時間を経て、ようやく新に届いた歌ではないでしょうか。
なにかを辞めたくなったとき、行き詰ったときに大切なのは、自分の気持ちのなかの原点になるものは何なのか見つめること。
本屋でバイトしている新に、太一が電話して「競技かるたの試合で行き詰ったときにどうしているか」と聞くシーンがあります。
新は椅子に座ってから「イメージや、立ちあがって、かるたが一番好きやったときをイメージする」とアドバイスを与えます。
かるたをやめることを決意した新は、立ったままでこのアドバイスを口にしてしまうと、心がかるたに戻ってしまいそうだったのでしょう。
小さな演技で太一と新の対比が浮き立つ、印象深いシーンです。
それにしても、この新のアドバイスは、競技かるたに限らず、なかなか深いですね。イメージ=かるたが一番好きだったときのことを思い出してみることで、またやる気が出てくる。
シンプルながら、これは何かに挑むときの鉄則かもしれません。
詩暢と千早の対決から見えてくること
「ちはやふる -下の句-」で大きな盛り上がりを見せるのが、クイーンの位置にいる若宮詩暢と千早の対決です。
詩暢との対決を意識するあまり、団体戦をおろそかにしてしまって周りが見えなくなっている千早。「上の句」でなんとかまとまったチームを今度は自分で崩しかねない態度に、周囲がいらつきを隠せません。
千早がやけに詩暢との対決にこだわるのは、「かるたをやめようとしている新に戻ってきてほしいから」。太一にしてみると、競技かるた部の部長としても、ライバルとしても、くやしい展開。
祖父を失って殻にこもっている新と、「団体戦なんかお遊びやわ」という詩暢を対比させることで、みんなでかるたを楽しむ意味を浮き彫りにしています。
競技かるたも勝負の世界なので、容赦のない勝ち負けの判定があります。がんばったからといって、だれもかれもがうまくなり、トップクラスの実力を持てるとは限らないのですが楽しそうにかるたを取っている机くんや奏ちゃんの姿は、「かるたの世界を豊かにしている」というのにぴったりです。
好きで続けていることのはずなのに、とても苦しい、という壁にぶつかるときってあります。そんなときに、「一番好きだったときのことを思い出す」というセリフはいいヒントになるんじゃないかな。
まとめ
「ちはやふる -下の句-」では、新という人物はわりと受身の立場にいて、試合を見届ける側にいます。
ずっと競技かるたをやってきたけど目標を失って立ち止まっている新が、他の人物がどんなふうにかるたをやっているのかちょっと引いた位置で見てみる、という構図になっていることで、千早と詩暢という対照的なキャラ同士の対立がいい距離間をもって描かれています。
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