「セロ弾きのゴーシュ」高畑勲が描いた青年

チェロのミニチュア アニメーション
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「セロ弾きのゴーシュ」宮沢賢治の書いた童話。青空文庫で読むことができます。

1982年に、高畑勲氏の演出によって映像化された作品があります。1時間くらいの映像で、コンパクトにまとまっています。

原作はとても短い話で、アニメでは非常に忠実に映像化されていました。今回の記事では、こちらのアニメ版を紹介します。

「セロ弾きのゴーシュ」

監督:高畑勲

出演:佐々木秀樹/雨森雅司/白石冬美/肝付兼太/高橋和枝/よこざわけい子/高村章子

公開年:1982年

製作国:日本

ぶきっちょなゴーシュが青年であるワケ

ゴーシュは金星音楽団に所属するチェロ弾き。でも団長にはこっぴどく叱られるなど、腕前は残念ながら下手。

ゴーシュの家に、夜中に動物たちが入れ替わりやってきて、なかばいやいや、チェロを演奏することになる。明けがたまで猫やら鳥やらを相手に演奏していくゴーシュ。ほんの1週間くらいの間に、周りを驚かせるほどに腕前をあげていく。

冒頭では、団長にしかられて、ほかの楽団のメンバーから顔をそらして一人で涙ぐんでいるシーンがありました。

わたしも(音楽ではないのですが・・・)ずいぶんひどい批判を食らって落ち込んだときを思い出しました。

自分が願うほどにはものごとはうまくいかず、傷つきやすい面を抱えている人なら、このゴーシュの心情はとてもよく分かるはずです。

ゴーシュ、という名前にはフランス語で「不器用な」という意味もあります。

映像化にあたって、ゴーシュという人物をなぜ青年にしたのか?

演出を担当した高畑勲氏のねらいには、ゴーシュという人物に「かつての自分たちや、不器用な若者たち」の姿を重ねている面があるようです。

私たちは、ゴーシュという下手なセロ弾きのなかに、内気で劣等感が強く、それでいて自尊心を傷つけられることには敏感だった自分たち自身の青春時代の思い出や、対人関係に極度に憶病なあまり、無愛想で無表情にみえるまわりの青年たちの似姿を見出したのです。

「映画を作りながら考えたこと」 著:高畑勲  徳間書店/1991年/P168

ゴーシュという青年の描き方に注目すると、ひとつひとつのシーンがよくわかるように思います。

動物たちの時間がもたらす成長

冒頭では、腕前のよくないセロ弾きだったゴーシュのところに、毎晩のように動物たちが入れ替わりやってきます。

猫、カッコウ、たぬき、ネズミ、といった動物にうながされて楽曲を演奏するゴーシュ。

とはいえ、最初にやってきた猫にはずいぶん冷たい態度でした。しまいには「印度の虎狩」という曲を演奏して、生意気な猫をびっくりさせて追い出す始末。

上達につながる描写もなく、いじめられるためだけに登場したような猫・・・なぜこんな気の毒なエピソードを入れるのかな、とも思いますが、ゴーシュの内面においてこの一幕は、昼間に団長からひどく叱られたことに対する補償のような役割を果たしたのだと私は思います。

ろくに怒りも表してこなかったゴーシュが、一匹の猫を相手に怒りをぶちまけ、鬱屈した心のなかをフラットな状態に戻すことも、変化のプロセスの第一段階として、必要だったのでしょう。

もちろん、団長の叱責はゴーシュの怒りとちがい、きちんとした理由のあるものです。しかし、ゴーシュがそれに気づくのは、次の動物たちとのやりとりを経たあとのことです。

鳥(カッコウ)との練習で音程をつかむものの、カッコウにも途中で怒り出すことがある。まだ、動物との時間を受け入れられない姿です。

たぬきにはリズム感の乱れを指摘され、繰り返しいっしょに演奏をする。最後のネズミからは、ゴーシュのチェロの音色で動物たちの病気が治る、と聞いて驚く。子ネズミをチェロのなかに入れて、曲を演奏してあげる。

ゴーシュの態度がだんだんと親切になり、気持ちがのびやかになり、いつのまにか本人も気づかない間に、チェロの腕が上がっている。

楽器の演奏の腕ばかりでなく、精神面の成長をも描いていて、最初のひ弱で自信のなかったゴーシュの変化を音楽とともに味わうことができます。

鬱屈した感情を抱え、自分を発散させることができず、気持ちが解放されたことのない青年としてゴーシュを作ったことで、おなじように不器用な人たちから見て、「ゴーシュは、自分の姿だな」と思える人物になっています。

終盤、ゴーシュ本人は演奏会のアンコールに出るときまで、上手くない自分のことを団長がバカにしている、と思い込んでいました。

周囲から演奏を褒められて、やっと動物たちと過ごした時間がなんであったのか、ゴーシュも気づく。このあたり、自分自身の成長って、なかなか本人は気づかないのでしょう。

背景美術の美しさに注目

「セロ弾きのゴーシュ」は背景が非常に美しいことが印象的です。担当したのは、椋尾篁さん。にじみのある水墨画風のタッチで、やわらかくて余韻のある絵です。

ゴーシュがチェロを弾いているあいだに周りの家具がなくなって、ゴーシュと動物だけの世界が広がりだす。空間が現実から空想に切り替わることで、観ているものの気持ちも引っ張られていく。

「セロ弾きのゴーシュ」の背景は、アニメーションの背景としてはかなり変わったタイプではないかな、と思います。

じんわり滲んだ背景の美しさが、夜中に動物たちがやってくる、という不思議さと相まって、幻想的な広がりを生んでいます。

「セロ弾きのゴーシュ」は背景美術や音楽を贅沢に使った映画として、味わいぶかい作品になっています。

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