「駅馬車」(1939)西部劇+人間ドラマの両方が楽しめる名画!

ガーベラ ドラマ
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1939年の名作です。・・・80年も前の作品なのか。有名作品だし、今更ネタバレも何もって感じですが・・・・。西部劇ってかなりクラシカルな印象ありますが、改めてみたら迫力ありました。

いまとなっては西部劇は作られない感じですが、やはりかつては人気ジャンルだったのでしょう。「駅馬車」の見どころや印象的なシーンなど、レビューしていきます。

ネタバレ有りなので、まだ見ていない人はご注意ください。

「駅馬車」

監督:ジョン・フォード

出演:ジョン・ウェイン/クレア・トレヴァー/トーマス・ミッチェル/ジョージ・バンクロフト

製作国:アメリカ合衆国

製作年:1939年

「駅馬車」は1台の馬車のなかのドラマ

車輪

1台の馬車には、それぞれの目的を持った乗客が乗り込み、目的地であるニューメキシコ州ローズバーグを目指します。いまでいう相乗りですかね。

道中の不安の種だったのは、インディオの襲来。無事に目的地までたどり着けるのかどうか、先を急ぐ人もいれば、引き返したがる人もいる。

「駅馬車」は内容はたしかに古い映画です。映像も現代の人間の眼から見ると、古い印象は否めない部分もあります。

しかし、時代を超えて印象に残るのは、「1台の馬車」という隔離された中での人間同士の対立や会話。

切羽詰まった状況になったときの人間の心理を描いているから、ドラマとして胸を打つのです。

作品のなかで核になる話は、娼婦であるダラスとリンゴ・キッドとの恋愛です。

ダラスは町の女性たちから見下されていたし、リンゴは懸賞金のかかったお尋ね者です。いわば社会のつまはじきものとして、煙たがられる存在です。

作中でも貴婦人ルーシーは、露骨にダラスをいやがり避けています。グループのなかでルーシーはレディーとして丁重に扱ってもらえるのに、同じ女性であってもダラスの扱いは見下されたもの。

そんななかでダラスに優しくしてくれるのがリンゴ・キッド。いわば似た者同士の恋愛なのです。

ダラスの気持ちの揺れは普遍的な悩み

ガラスの小瓶

自分のことを女性として扱ってくれるリンゴに惹かれるダラスですが、平穏な人生などなさそうなリンゴといっしょに人生をやり直すのか、それとも断るのか。

リンゴは自分の父や弟の仇をうつための決闘まで考えていて、不安定な将来の約束など何になるのか・・・。

「もしかしたら自分にも新しい人生があるかもしれない」と思う期待と現実の間で、ダラスの気持ちは揺れます。こんな気持ちは、作品からどれだけ年月が流れても普遍的な悩みですよね。

ダラスの気持ちの揺れやためらい、周囲から嫌われていることを知りつつ取る距離など、細やかな心情が出ていて、そこに惹かれます。

ダラスと前からの知り合いである酒好きのドクターは、ダラスの揺れる気持ちを知っています。いつでも酒ばかり飲んで、酔っ払いよばわりされる奇妙なドクターですが、意外と目が優しい。ダラスの将来のことを内心では案じ、気を使ってくれます。

メインのキャラであるダラスとリンゴ、その脇を固めるドクターや保安官など、キャラ同士のバランスがいいのです。

シンプルなストーリーながら、登場人物たちのドラマが交錯して、見ている人をしっかりと惹きつける作品です。

インディオから逃れるシーンの緊迫感が巧い!

大地

道中の最後にインディオたちが襲ってくるシーンがあり、このシーンが最大の見せ場です。かなりのスピードで移動する駅馬車のなかで繰り広げられる緊迫した会話やこわばった表情。

「もしかしたらだれかが犠牲になるのかも・・・」といった緊迫感の描き方が巧みなのです。

必死の思いで祈りをささげている若いルーシーに銃を向ける男がいる。しかし、その男性のほうががっくりと力を失い、後ろに倒れる。インディオの攻撃を受けたためでしょうけど、画面上ははっきり見せない。このあたりの抑制のきかせ方は、かなりうまい描き方です。

馬車を引く馬に人間が飛び乗るシーンなど、迫力のあるスタントシーンもあります。いまとなってはもっと迫力のあるシーンはいろいろ撮れるのだろうけど、当時ならではの工夫や映像は、今見ても楽しいものですよ。

まとめ:ラストまで気の利いた作品

コスモス

インディオの攻撃から逃げたと思ったら、今後は決闘シーンになるので、このあたりの展開がやや冗長に感じてしまうかもしれません。でも最後には、とてもいいラストシーンが用意されています。

最後はちゃんと明るいエンディングになっていて「あ、こういうしめくくりなんだ」とちょっとニヤッとしてしまいます。希望が持てるラストですよ。

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