冒頭、電車に乗って主人公・良多が母親のいる団地に向かっているシーン。ああ、この人物は自分の人生に納得いっていないんだな、っていうのが表情からなんとなくわかります。
こういう説明ではなく、表情とか仕草で伝えてくれる映像っていいな、と思います。
(ネタバレ含みますので、ご注意ください)
「海よりもまだ深く」
監督:是枝裕和
出演:阿部寛/真木よう子/樹木希林/吉澤太陽/リリー・フランキー
公開年:2016年
製作国:日本
なりたい自分と現実は違うということ
主人公・良多は一時は賞をとって作家を夢見ていたものの、いまは興信所で探偵をやっている状態。お金に余裕はなく、母や姉にお金をせびるあり様。
かつては結婚して子供がいたものの、すでに離婚しています。月に1回、息子に会えるけど、元妻には新しい恋人がいる状態。
思うようにはいかない日々のなかで、屈折したような表情になってしまった良多の姿は、見ている人の大多数の姿でもあるのでしょう。
なりたかった仕事、立場、行ってみたかった場所、手に入れたかったもの、大事だった人、そのほとんどを諦めながら生きていくケースがほとんどです。
才能がなかったのか、努力が足りなかったのか、夢が大きすぎたのか、お金がなかったのか、運がわるかったのか・・・・。いろんな原因が絡んで、願っていた方向からはだんだん外れていきます。
良多が「こんなはずじゃなかった」と言うシーンがあります。「こんなはずじゃなかった」と思っているのは、元妻の響子も同じです。
そう、自分の人生はこんなはずじゃなかった。この思いを抱えながら、それでも人生を過ごしていく。観ているときに良多の駄目っぷりを笑いながらも、思いあたるフシは誰にでもありそうです。
父親と良多のかかわり
主人公の良多は願うような人生を全くおくれていない。働いているけど打ち込むような仕事でもなく、離婚した元妻にはまだ未練があるし、養育費を払う必要があるのに金欠だし・・・。
元妻の暮らしや息子の様子を遠巻きに観察しに行っているあたり、未練がましくて情けない。あれこれ言いわけを並べる姿はだらしがなく、いつまでも過去と決別できない大人の姿です。
その一方で見栄っ張り。漫画の原作の話を引き受ければいいものを、なんだかんだ言って引き受けない。でも元妻の前では「漫画の原作の話がきているんだ」なんて、嘘を言う。
良多は「父親みたいになりたくなかった」といいつつ、だらしのない様子がまさに父親に似てしまっている。皮肉な話ですが、似たくないと思っていた親にいつしか似てしまう。
台風が過ぎ去った翌日、質屋に行って硯を換金してもらうときに、実は昔、父親が賞をとった小説を周囲に配っていたことを知る良多。もちこんだ硯でサインを書きながら、知らなかった父の気持ちをかみしめているようです。
既に他界した父親の気持ちの一端を知って、やっと父親と良多という線がつながったようなラストになっています。
良多と真悟のかかわり
真悟という一人息子が、いつも困ったような顔をしているのが印象的です。両親の言い分に挟まれて、いつも大人の顔色を伺ったり、親の気持ちを汲んだりしているのが、ちょっと眉根を寄せた表情で分かります。
どちらかというと、だらしのない父親を心配しているところがあって、これでは親子が逆ではないの、みたいな部分もあります。
息子の真悟の前ではいい父親として格好をつけたいのだろうけど、どこか無理がある。真悟にも、「お金大丈夫?」なんて聞かれているくらいだから、格好のつけようがないこともバレている。
描写にリアリティがあって、だらしのなさやみみっちい感じが細かい演技から伝わります。
たとえば、息子と会うために向かっている最中、電車のなかで所持金の金額をこまごま数えているシーンがあります。金欠ぶりが出ていて、そのせこい感じの出し方とかいいですね。
うだつのあがらない父親、再婚するかもしれない母親、その間にいて、真悟は不安定な立場なのでしょう。また両親がいっしょになってくれたら・・・・という気持ちももちろん、あるんでしょう。ちょっと気の毒な立場ではあります。
良多と真悟の関わりを示唆する人物として、興味深かったのが、興信所の後輩である町田です。良多がダメ男だということは承知しながらも、けっこう親切に接しています。
どうも町田も親が離婚した経緯があるらしく、良多と息子の状態にはつい親身になってしまうらしい。「息子は会いたくなったら、自分で会いに来ますよ」という町田のセリフが、今後の良多と真悟の関係を暗示しているようです。
ダメな過去でも受け入れるということ
「海よりもまだ深く」のなかに大きな物語があるわけではありません。
クライマックスといえば、台風がやってきて帰れなくなった元妻と息子が団地に泊っていくこと、夜中の公園のすべり台に潜り込むこと、といった出来事です。
でも、この一晩の出来事のあとには、決定的に良多の気持ちが変わっていることを感じます。
人生に劇的な変化があるわけでもなく、この後も良多はまた探偵業を続け、うだつのあがらない毎日を過ごすはずです。
養育費を稼ぎ、月に一度だけ、息子に会いに行く。そんな日を過ごすでしょう。仮に元妻が再婚すれば、その関係さえどうなっていくのかわからない、という不安定さを含んでいます。
それでも台風の夜に、「先に進ませてよ」という元妻のセリフに「分かった」と言うこと。そのセリフ一つのために、延々と良多という情けない人物を見てきたように思います。
だれでも過去と決別するのは難しい。もちろん、完全に割り切ることはできないでしょう。
かつてあったことを「思い出」にしていく区切りのつけ方、けじめのつけ方、というのをどこかで学んでいかないと仕方ない。
願い通りの人生なんてそうそうあるはずもなく、どこかで過去を引っ張りながら生きていく。どうやって現実と折り合いつけていくのか、その点に皆、苦しむのです。
地味な作品ながら、共感する人は多いはずです。願っていた形とは違うけど、その人生をどこかで受け入れる。難しいけど、先に進むためには必要なことです。
最後に親子が別れていくシーンで、またそれぞれの日常に戻る様子を見ながら、自分自身を振り返って、しみじみしてしまう作品なのです。
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