今回取り上げるのは、「カールじいさんの空飛ぶ家」。もともとの原題は「UP」なんですね・・・わかりやすい。
本作の中でとりわけ大きな存在である、家の描きかたについて考えてみました。
ネタバレありなので、ご注意くださいね。
「カールじいさんの空飛ぶ家」
監督:ピート・ドクター/ボブ・ピーターソン
出演:エドワード・アズナー/クリストファー・プラマー/ジョーダン・ナガイ/ボブ・ピーターソン
公開年:2009年
製作国:アメリカ
カールとエリーの人生がつまった冒頭10分のプロローグ
冒頭では、主人公であるカールと妻・エリーの子供時代の出会いから結婚、そしてエリーが亡くなるまでが丁寧に描かれています。
冒険に憧れるけどちょっとシャイな少年カールと、勝気でアクティブな少女だったエリー。2人が出会ったのが、まさに古い空き家でした。
結婚後には空き家を買って、リフォームして暮らすようになります。2人の生活がどんな暮らしぶりだったのか、どれだけ仲が良かったのか、セリフではなく動きや音楽でじっくりと描写しています。
冒頭の10分くらいがとても感動的だから、膨大な数の風船とともに家ごと空を飛んでいくという荒唐無稽な展開であっても説得力が生まれます。
「家が飛ぶ」という描写を支えるもの
家はセリフこそないものの、もう一人の主人公といっていいほどの存在感をもって描かれています。小さな古い家は、カールじいさんにとっては愛妻エリーそのものでした。
カールじいさんの表情や行動には、家へのこだわりや愛情が随所に出てきています。
家が空中を進む進路を決めるときに舵に使っているのが古い珈琲ミルであるとか、帆にはカーテンを使うとか、日常アイテムをうまく使って世界を組み立てるためのアイデアがちりばめられています。
しかもそのアイテムが、どれも妻との思い出に登場しているという点もじんわりと来ます。
家一軒をまるごと乗り物にして操縦するというアイデアは大胆ですが、細かい描写がそれを支えています。
家具の描きかたでとりわけ印象的だったのが2つのソファ。
赤くて四角いソファにカール、黄色くて優雅な背もたれがついているソファにエリーが座っていました。ふたりの過ごした時間を象徴するようなアイテムとしてならんでいます。
最後にラッセルを助けるために家のなかからすべての家具を出した時にも、2つのソファだけはきちんと丁寧に地面に置かれていました。
愛着のある「もの」への執着があることで、物体であるはずの家に生命があるかのようです。
カールじいさんが家と引き換えに手に入れるもの
ラッセル少年は最初は厄介者みたいな感じで登場し、なりゆきでカールじいさんの旅に加わりますが疎外感を抱えているという点では、カールじいさんと似ています。
そして犬のダグも、犬のグループから疎外されているという点ではよく似ています。それぞれに大切ななにかが欠落した感じを持つ似た者同士の珍道中となっていて、奇妙な連帯感があります。
南米についてからも高齢のカールじいさんが家をロープで身体に結んで引っ張っていくというのは
本当は無茶ですが、延々と引っ張っていきます。
そして人生そのものだった家をついにパラダイス・フォールに置いたとき、一世一代の決意でたどり着いたはずの場所なのに、なんだかかえってむなしい。
自分の目的ばかりに気を取られ、ラッセル少年のことをないがしろにしてしまったカールじいさん、達成感よりもラッセル少年を裏切ったような罪悪感やむなしさを感じてしまいます。
ケヴィンやラッセルを助けに向かうために家具を家から放り出し、ふたたび空に向かう家とカールじいさん。
最終的にはラッセル少年やケヴィンを助けるために、カールじいさんは大事な家を手放すことになるのですが、過去と決別することでこそ得られる感覚をじわっと感じさせます。
あんなに大事だった家を失ったのに、しかし感じる充実感。
ラッセルに向かって「いいさ、たかが家だ」と断言することで、やっとカールじいさんの夢は実現したのではないか、と思うのです。
そして家が最後にどこに存在しているのか、ラストショットまでみとどけると本当に細やかな点まで配慮して作られていて感涙します。
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