「オリエント急行の殺人」『名探偵ポワロ』ではシリアスなドラマ!

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イギリスのテレビドラマであり、日本でも人気のあった『名探偵ポワロ』でも「オリエント急行の殺人」は映像化されています。原作出版75周年記念の作品だったそうで、見ごたえのある作品になっています。

1974年の映画がとても明るく、どこか陽気な雰囲気すらあったのに比べて、ドラマは全体的にとてもシリアスな雰囲気になっています。両方を比較して考察してみます。

 

ネタバレありなので、ご注意ください!

「オリエント急行の殺人」『名探偵ポワロ』

演出:フィリップ・マーティン

出演:デヴィッド・スーシェ/トビー・ジョーンズ/ジェシカ・チャステイン/他

製作国:イギリス・アメリカ

公開年:2010年

ドラマ『名探偵ポワロ』のシリアスな冒頭に注目

映画では冒頭に、すべての原因であったアームストロング大佐の事件を持ってきていて、それはそれで、分かりやすい導入になっていました。

一方、ドラマ「名探偵ポワロ」ではいきなり緊迫感のあるシーンから始まります。ある事件の容疑者をポワロが問い詰めているときに、目の前で、その容疑者が命を絶ってしまいます。

もう一つ、冒頭に重要なシーンが追加されています。ドラマでは、イスタンブールで地元の市民による、報復を目の当たりにしたことです。

本筋の事件とは直接は関係ないのですが、この2つのショックな出来事を冒頭に持ってきたことで、ドラマの結末にある、「法による裁きと正義の実行のどちらを優先すべきか」という重たいテーマをより深く考えさせることになっています。

保身のために嘘をつき、追い詰められたあげくに命を絶った軍人。その同僚とおぼしき軍人はいいます。「いい人でした。はらった代償が大きすぎる」と。でも罪は罪として裁かれるべきだった、とポワロは考えている。

イスタンブール現地での「罪に対する裁き≒正義」が実行された制裁。目撃していたメアリー・デベナムはショックを受けていて、制裁を受けた人を気の毒に思っている。ポワロは「現地の正義が為されただけだ」という。

正義とはなんなのか。罪を犯した人間がちゃんと法律のシステムで裁かれていればよかったけど、そうでなかったときに報復が許されるのか。

真実をもって法によって裁かれるのか、それとも正義のために法律に背くのか。この問いは悪人への対処をめぐって、容疑者たち、そしてポワロにも迫ってきます。

列車が雪に閉ざされたシーンや、停電による寒さの演出も、ドラマのほうがより切実そうな感じが出ていました。悲壮感ただよう演出のひとつなのでしょう。

「オリエント急行の殺人」映画とドラマの違い

ドラマを見ていて感じた映画との違いは、おもに2点あります。

90分程度という尺の関係もあるのでしょうけど、それぞれの容疑者への問い詰め方はわりとあっさりしている、ということ。

乗客への尋問は1974年の映画のほうがじっくり描いていましたね。そしてその後、発言のなかの矛盾や詰めの甘さをポワロが解き明かしていく、という作りになっています。

ドラマでは一人一人との対話があんまり深くはないので、トリックを楽しむ、という感じは弱いように思いました。

あとは、ひとりひとりの人物のキャラの立ち方は映画よりも弱いので、だれがだれだか、ちょと区別しにくいな、ということです。

たとえば1974年の映画では、ショーン・コネリー演じるアーバスノット大佐や、自動車セールスマンのフォスカレリなど、それぞれに強烈な個性がありました。

もともと登場人物が多い原作なので、ドラマではだれがだれなのか、ちょっと把握しづらいです・・・・。

そのぶんドラマではメアリー・デベナムの存在が大きくなっています。正義を行うとはなにか、ポワロと彼女の会話が、ドラマでの核かもしれません。

べつにドラマ『名探偵ポワロ』が悪いという意味ではなく、重視している部分の差だろうと思います。

1974年の映画では、事件の解明とそこにいたるまでのプロセスを重視していて、結果として警察に真実を告げるかどうかは、とてもあっさりと処理していました。

一方で、ドラマでは地元の警察に事件の真実を告げるか否か、ポワロが感じる苦悩を、時間を割いて描いていました。警察がやってくるギリギリのタイミングまで、ポワロは悩んでいます。人間が感じる苦悩を見せ、人間ドラマであることを重視しているのです。

ラストシーンのポワロの表情が印象深い

ラストシーンは雪の中、声の聞こえない距離から不安そうにポワロと警官の会話を見守る犯人たち。

視聴者は自身の中の正義感、悪を懲らしめたことをつい痛快に思ってしまった内心に対して、判決が下される瞬間を、犯人たちとともに待つことになるのです。緊張感のあるシーンでした。

その後、降り積もった雪のなか、苦しみぬいた表情で歩くポワロの姿はとても印象的です。手にはロザリオを握り、目には涙が浮かぶ。ファンには印象的なシーンでしょう。

ラチェット(カセッティ)が悪人なのは、誰の目にも明らかです。ポワロとしては、法による裁きを優先する立場だった。そうでないと成立しない仕事でもある。

しかし結局は正義のために犯罪を見逃す、という結果を選択する。これはポワロにとっては、大きな敗北であり挫折なのでしょう。

信念を曲げた、ということは大きな事実であり、そののちずっとポワロのなかに沈殿していくのでしょう。

まとめ:重い問いをもった人間ドラマ

法律による裁きと、正しいことが一致しないときに果たしてどうすればいいのか、と悩むテーマは現代的でもあり、良識に照らしてどちらをとるか、きわめて重い問いをはらんだドラマになっています。

勧善懲悪や私的制裁、自警団物が素直に良きもの・絶対的な正義として受け入れられにくい現代、映画版のラストを再解釈した作品として、ドラマ『名探偵ポワロ』は非常に誠実な作品であると感じました。

人間ドラマとしては、ドラマ『名探偵ポワロ』の「オリエント急行の殺人」のほうが、見ごたえがあると思います。

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