当サイトを開設してからずっと人気のある記事のひとつが、「アラバマ物語」です。・・・なぜだ。
1962年とかなり古い映画なのですが、興味をもっていただき、ありがとうございます!!
以前のレビュー【「アラバマ物語」子供の眼を通して描いたアメリカの暗さ】は以下になります。
わたしにとっても思い入れのある作品なので、再度鑑賞してみて抱いた感想を、追加で書いてみようかと思います。今回は、ブーという人物について考察してみます。
「アラバマ物語」に登場するブー
「アラバマ物語」のメインのストーリーは、トム・ロビンソンの裁判をめぐる攻防です。
ブーという謎の人物が出てくるのは、冒頭の30分くらい、中盤の子供たちの会話のなか、そして最後の危機のシーンです。
いわばブーはサブの存在なのですが、「アラバマ物語」においては欠かせない人物となっています。
冒頭:子供たちの噂に出てくる正体不明の人物
冒頭では、子供たちの会話のなかで「近所にはブーという妙な人がいる。近寄ってはならない」といったうわさ話が出ます。
大人たちも近寄らないようにしているブーの家は、子供たちの想像力をかきたて、ちょっと怖い場所となっています。
あの家に近寄れたら弱虫じゃない、といった感じで肝試しスポットみたいな場所と化しています。この段階では、ブーは会話の中にだけ出てくる、正体不明の怪物的存在です。
中盤:ジェムの宝物の箱
ジェムが宝ものの箱に収めている数々のアイテムは、近所の木の洞から集めたものです。時計とか、メダルとか、人形とか。
あきらかに「誰かが木の洞のなかに置いたもの」であり、ジェムが気づくように置かれていたのかな、といったアイテムです。
ジェムが持っている箱こそ、オープニングのときに映っていた箱であり、幼い子供が遊んでいたアイテムが入っていた箱です。
ブーはまだ姿を見せないけど、その存在をだんだんと子どもたちも感じるようになっています。
終盤:隣人としての存在
ハロウィンの夜に起こった出来事で、子供たちは帰宅途中に襲われ、ケガをさせられます。
大変なピンチにおいて、いきなり出てきてジェムとスカウトを助けてくれる誰か。ジェムを抱えて、家まで運んでくれた誰か。
それが、ブーと呼んできた青年でした。ブーは確かに暴力を使ったけれど、もちろんスカウトたちを助けるためだった、という理由があります。
そして、もしブーの行ったことを公表した場合に周囲で起こるだろう出来事を想像して、保安官は公表を控えます。
ブーという存在はなぜ描かれたのか?
ブーはその姿を見せないために、周囲でいろんな噂がつきまとってはいるけど、悪い人ではない。
むしろ善良な人ではあるが、社会がその存在を受け入れていけるだろうか、という疑問が最後に示されます。
社会のほうが無理に評価や解釈を捻じ曲げて、多数(マジョリティ)にとって都合のいい結論に落とし込むだけではないか。
「アラバマ物語」のメインである、無実の青年を、黒人であるが故に有罪にしてしまった経緯を見ていると、正義とか真実といったものの扱いの難しさが迫ってくるのです。
「ブーは隣人」スカウトはラストでブーと一緒に歩きながら、そう言います。
はたして簡単に理解できない隣人を受け入れていけるほど、わたしたちの社会は寛容であり、クリーンなのか?という疑問が最後に残されるのです。
「アラバマ物語」においては、トムをめぐる裁判における描写がメインであり、本筋です。
その一方で、ブーという正体不明の存在が加わることで、片隅で生きている目立たない存在へのまなざしや、逆にブーからわたしたちはどう見られているのか、といった視点が加わっているのです。
まとめ:ブーという隣人
「アラバマ物語」は見終わったあとに、とてもモヤモヤした感覚や感情が残ります。すっきりとした後味ではなく、社会のなかの割り切れない感覚や、やりきれないような切なさを感じます。
スカウトは物語のあとの人生において、社会のなかの不合理になんども打ちのめされていくでしょう。そのたびに、子供時代に出会ったブーのことを思い出すのではないでしょうか。
ブーは、スカウトが子供時代に出会った、「社会の秩序からは外れているけど忘れがたい存在」なのです。
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